導入
「あと340万円払えば、3,400万円を出金できます」
家族がSNS経由の副業や投資にのめり込み、多額のお金を送ってしまったとき、本人も家族も最初に考えるのは「どうすれば取り戻せるか」です。
しかし私は、この問題で最優先すべきなのは、失ったお金を取り戻すことではないと考えます。
最初にやるべきことは、追加送金を止め、消える証拠を残し、本人の安全を確保することです。
詐欺被害は、発覚した瞬間が終わりではありません。
「税金を払えば出金できる」「回収業者なら70%取り戻せる」といった言葉によって、被害がさらに広がることがあります。
相談事例
52歳の会社員男性からの相談です。
49歳の妻が、SNSで見つけた「スマホだけでできる副業」をきっかけに、約半年間で約1,780万円を送金していました。
最初は商品レビューのような簡単な作業でした。
3万円を送ると3万5,000円が戻り、10万円を送ると12万円が戻りました。
妻は「本当に利益が出る」と信用します。
その後、「VIP案件」「限定投資」「暗号資産」などへ誘導され、送金額は50万円、100万円、200万円と増えていきました。
最終的には、夫婦の預金だけでなく、妻自身の預金、投資信託、さらに消費者金融やカードローンまで使っています。
現在、サイト上では約3,400万円の残高が表示されています。
ところが出金しようとすると、「税金として340万円を先払いすれば出金できる」と言われました。
妻はまだ、「本当に払えば戻るかもしれない」と迷っています。
この問題の本質
私は、この問題の本質は「騙された1,800万円をどう取り戻すか」だけではないと考えます。
同時に起きている問題は、少なくありません。
- 追加送金の危険
- 新たな借入
- 銀行口座への送金被害
- 暗号資産の送金
- 本人確認資料の流出
- カード情報の悪用
- チャットやサイトの証拠消失
- 回収業者を名乗る二次被害
- 住宅ローン
- 子どもの学費
- 夫婦関係の悪化
- 本人の強い自責
- 自傷リスク
これらを全部「詐欺被害」という一つの箱に入れると、対応順序を誤ります。
よくある失敗
1.「あと少し払えば戻る」に賭ける
最も危険なのは、すでに大きな損失が出ているため、追加のお金を払ってでも元に戻そうとすることです。
1,780万円を失った人にとって、340万円は「大きな追加損失」ではなく、「全部取り戻すための最後の一手」に見えてしまいます。
ここで判断を変える必要があります。
今の目的は1,780万円を3,400万円に戻すことではなく、1,780万円の損失を2,120万円へ増やさないことです。
2.家族が怒ってスマホを消去させる
被害者本人は、恥ずかしさからチャットを消したいと考えることがあります。
家族も「こんなものを見たくない」とスマートフォンを初期化したくなるかもしれません。
しかし、そこには振込指示、相手のアカウント、暗号資産アドレス、音声、送金日時などが残っています。
特に自動消去設定がある場合、証拠保全は時間との勝負です。
3.借金返済を先にする
620万円の借金が判明すると、「まず借金を全部返そう」と考えがちです。
しかし私は、発覚直後に学資保険や残りの預金を使って一括返済することは勧めません。
まだ借入総額が確定していない可能性があります。
また、住宅ローン、生活費、大学学費など、今後必ず必要になるお金もあります。
まず家計からの流出を止め、全資産と全負債を一覧化します。
4.「返金業者」に希望を託す
被害者のSNSには、「投資詐欺専門の回収チーム」「70%取り戻せる」といった別のアカウントが近づいてくることがあります。
このタイミングは非常に危険です。
被害者は「一度騙されたから、今度こそ慎重に選べば大丈夫」と考えています。
しかし、取り戻したい気持ちが強い人ほど、二次被害の標的になりやすくなります。
私は、被害回復のために新たな相手へお金を払うことを止めます。
5.夫婦問題をその日のうちに決着させる
夫から見れば、妻は半年間秘密にして家族の預金を使い、さらに借金までしていました。
怒りを感じるのは当然です。
しかし、発覚直後に「離婚する」「二度と家計に触らせない」「親にも全部話す」と決める必要はありません。
詐欺被害への緊急対応と、夫婦間の信頼問題は分けて考えます。
私ならどう考えるか
私なら、最初に問題を次の順番で整理します。
生命 → 追加被害停止 → 証拠 → 金融機関への連絡 → 個人情報防御 → 家計 → 借金 → 夫婦関係
妻が「生命保険が出れば少し戻せるのかな」と発言している以上、ここは単なる金銭問題ではありません。
自責が強まり、自分の生命をお金に換算するような思考になっている可能性があります。
この場合は、証拠よりも安全が優先です。
一人にしてよい状態なのか、具体的に死にたいという考えがあるのかを確認します。
最善策
私なら、まず追加送金を完全に止めます。
学資保険も解約しません。
「資金回収チーム」にも1円も払いません。
次に、メッセージ、投資サイト、振込明細、暗号資産アドレス、契約書、音声、借入資料を保存します。
そのうえで、直近の振込先金融機関、カード会社、暗号資産交換サービスなどへ速やかに連絡します。
同時に、妻が送った本人確認資料やカード情報が悪用されないよう、口座・カード・各種認証情報も確認します。
そして、夫婦の資産と負債を一枚にまとめます。
ここまで終わってから、620万円の借金をどう返すか、学費をどう確保するか、今後妻に家計管理を任せるかを考えます。
なぜ法律だけでは解決できないのか
法律上、詐欺に当たる可能性があるとしても、それだけで被害金が戻るわけではありません。
銀行口座に資金が残っているかもしれません。
すでに別口座へ移されているかもしれません。
暗号資産として海外へ動いている可能性もあります。
だからこそ、「違法かどうか」だけでなく、「今この瞬間に何を止め、何を残すか」が重要です。
また、仮に被害金の一部が戻っても、妻の自責、夫婦間の不信、教育費、借金が自動的に解決するわけではありません。
法律上の勝利と生活再建は別です。
実務上のチェックポイント
- 送金日と送金額の全一覧
- 振込先銀行、支店、口座名義
- 直近の送金先
- 暗号資産の取引履歴
- 外部ウォレットアドレス
- 相手のSNSアカウント
- メッセージ自動消去設定
- 投資サイトのURLと画面
- 契約書PDF
- 相手からの音声
- 送信した本人確認書類
- 送信したカード情報
- 銀行IDやパスワード流出の有無
- ワンタイムパスワードを伝えていないか
- 全借入先と残高
- 次回返済日
- 現在の普通預金残高
- 住宅ローン次回引落日
- 子どもの学費
- 本人の睡眠、食事、自責発言
- 自傷リスクの有無
まとめ
SNS副業・投資詐欺で大金を失ったとき、最も危険なのは「取り戻したい」という気持ちのまま動き続けることです。
追加送金、回収業者への支払い、新しい借入。
これらは、失ったお金を取り戻す行動に見えて、実際には被害を拡大させることがあります。
私は、まずお金の流出を止めます。
次に証拠を残します。
金融機関等へ速やかに連絡します。
同時に、被害者本人の心身の安全を守ります。
借金、学費、住宅ローン、夫婦関係は、その後に一つずつ整理します。
いま最優先すべきなのは、勝つことでも、全額を取り戻すことでもありません。
被害をこれ以上広げず、家族の生活を立て直せる状態を作ることです。
本記事は、架空の事例をもとにした一般的な実務検討用情報です。実際の被害回復可能性、金融機関での手続、暗号資産の追跡、債務整理、刑事手続等は、送金方法、資金移動、契約内容、借入状況などによって異なります。



