「営業中の店に車が突っ込み、けがをして店も開けられなくなりました。従業員の給与、家賃、ローンが毎月出ていきます。営業を再開できるまでの損害を、すべて補償してもらえるのでしょうか」
店舗へ車が突入する事故では、経営者のけがだけでなく、建物、内装、厨房設備、商品、従業員、賃料、休業による利益減少が同時に問題になります。
相談者としては、「相手の事故なのだから、元の店へ戻るまで全額払ってほしい」と考えるのが自然です。
しかし私は、この問題で最初にすべきなのは、高額な復旧工事を発注することでも、月商全額を休業損害として請求することでもないと考えます。
いま最優先すべきなのは、負傷者の安全を守り、証拠を失わず、店と家庭の資金が尽きる前に暫定的な資金を確保することです。
相談事例
相談者は52歳の女性で、商店街にあるベーカリーカフェを経営しています。
開店準備中、78歳の男性が運転する車が歩道を越え、店舗正面のガラスを破って店内へ突入しました。
相談者は倒れた棚の下敷きとなり、左足首を骨折しました。店内にいたパート従業員も腕を骨折しています。
事故によって、正面ガラス、柱、電気配線、給排水管、内装、陳列棚、レジ、冷蔵ショーケース、製パン機器などが損傷しました。
店舗は賃貸です。建物本体は貸主、内装や厨房設備は相談者が負担する契約となっています。
貸主が依頼した業者の見積りは約780万円、相談者が依頼した店舗専門業者の見積りは約1,650万円です。
相手方の保険会社は、設備損害について500万円、休業損害について300万円を暫定的に支払う案を提示しています。
しかし相談者は、全額が決まるまで受け取らない方針です。
この問題の本質
私は、この問題の本質は、「損害の種類と負担者が混ざっていること」にあると考えます。
このケースには、少なくとも次の損害があります。
- 相談者本人の治療費、休業、慰謝料
- 負傷した従業員の治療と収入
- 貸主が所有する建物本体の損傷
- 相談者が所有する内装、設備、商品
- 営業できない期間の事業損害
- 賃料、仮店舗、再開準備費用
これらは一つの請求書でまとめて解決できる問題ではありません。
人身損害と店舗の物的損害では、使う保険や必要な資料も異なります。建物本体と店舗設備では、所有者も工事を発注する人も異なります。
最初に損害を分けなければ、工事も請求も進まず、休業だけが長引きます。
よくある失敗1|月商全額を休業損害として請求する
事故前の店舗の平均月商は約480万円です。
相談者は、営業できない期間について、月商480万円を全額請求したいと考えています。
しかし、売上と利益は同じではありません。
営業を休めば、食材仕入れ、包装資材、決済手数料、営業日数に連動する光熱費など、発生しなくなる費用もあります。
一方で、家賃、設備リース料、保険料、通信費など、休業しても支払いが続く固定費があります。
さらに、倉庫代、商品廃棄費、顧客への対応費など、事故によって新たに増えた費用もあります。
私なら、売上だけではなく、事故前3年分の月別利益を確認します。
- 売上
- 原材料費
- 人件費
- 水道光熱費
- 固定費
- 営業利益
- 事故後に減った経費
- 事故後に増えた費用
金額を大きく見せることより、第三者が見ても説明できる計算にすることが重要です。
よくある失敗2|事故前より高性能な設備へ交換する
壊れた厨房機器の一部は古く、同じ型がすでに販売されていません。
この場合、現在販売されている同等機能の設備へ交換する必要があります。
ただし、事故を機に、より大型で高性能な設備へ入れ替えれば、その差額まで当然に補償されるとは限りません。
事故による原状回復と、経営者が希望する設備更新を分けなければなりません。
私なら、設備ごとに次の一覧を作ります。
- メーカーと型番
- 購入時期
- 購入価格
- 事故前の状態
- 修理可能性
- 同等品の価格
- 高性能機種との差額
高性能機種を選ぶ場合には、補償部分と自己負担部分を事前に分けます。
よくある失敗3|店舗が使えないから家賃を全額止める
事故で店舗が使えない以上、家賃を払いたくないという気持ちは理解できます。
しかし、相談者が独断で賃料を止めると、貸主から滞納や契約解除を主張される危険があります。
建物のどの部分が使用できないのか、貸主工事がいつ終わるのか、相談者側の内装工事がどれだけ必要なのかを整理したうえで、賃料の減額割合を協議する必要があります。
私は、貸主を事故の相手と同じように扱うべきではないと考えます。
貸主との関係が壊れれば、店舗の修理が終わっても、その場所で営業を続けられなくなる可能性があるからです。
負傷した従業員の生活を後回しにしない
事故で負傷したパート従業員は、月約13万円の収入が止まっています。
相談者は、「相手の保険会社が払うはずなので、店からは何もできない」と説明しています。
しかし、従業員は勤務中に負傷しています。
相手方との賠償交渉が終わるまで、生活費も治療も待たせることはできません。
私なら、業務上の事故として必要な手続を進め、相手方の補償との調整は後から行います。
また、負傷していない従業員についても、再開時期が分からない状態を放置すれば離職します。
正社員の職人がいなくなれば、設備が直っても店を再開できません。
従業員ごとに、休業、短時間勤務、他店舗での研修、再開予定を伝える必要があります。
自分の保険を使わないという判断は危険
相談者は、「事故の相手が悪いのだから、自分の店舗保険を使う必要はない」と考えています。
私は、この考え方は生活再建を遅らせる可能性があると思います。
店舗総合保険、休業補償特約、傷害保険、所得補償保険が利用できれば、相手方の損害額が確定する前に資金を確保できる可能性があります。
自分の保険を利用することは、相手方の責任を免除することと同じではありません。
重要なのは、保険金の重複や、後からの調整方法を確認することです。
内払いは拒否すべきなのか
相手方の保険会社は、設備について500万円、休業について300万円を暫定的に支払うと提案しています。
相談者は、全額でないことを理由に拒否しています。
しかし、店と家庭を合わせて毎月約70万円の資金不足が生じています。
この状態で数か月待てば、店舗資金だけでなく、長女の学費や住宅ローンにも影響します。
私は、内払いを受けるかどうかは、金額の大小ではなく、書面の内容で判断すべきだと考えます。
- 最終示談ではないか
- 追加請求を放棄しないか
- どの損害項目への支払いか
- 後で最終額から控除されるだけか
- 人身損害が含まれていないか
条件が明確であれば、暫定資金を受け取り、従業員、家賃、工事調査へ使う方が、生活再建に有利な場合があります。
私ならどう考えるか
私なら、事故対応を次の順番で進めます。
1.安全と治療
相談者と負傷従業員の治療を優先し、店舗については柱、電気、ガス、給排水の安全を確認します。
2.証拠保全
防犯カメラの元データを保存し、壊れた設備を撤去する前に、型番や損傷状況を撮影します。
3.負担区分の整理
建物本体、内装、設備、商品、人身、休業、賃料を分け、誰がどの保険で処理するのか一覧化します。
4.暫定資金の確保
相手方の内払い、自分の店舗保険、休業補償、従業員の補償を並行して進めます。
5.再開案の比較
現店舗の復旧を待つ方法、仮店舗、販売だけの再開、委託製造、一定期間の休業を比較します。
最も早い方法ではなく、安全性と収支が両立する方法を選びます。
最善策
最善策は、負傷者の治療と従業員の生活を守りながら、証拠、設備、会計資料を確保し、暫定資金を受け取れる体制を作ることです。
その間、次の判断は急ぎません。
- 1,650万円の全面工事
- 店舗の長期休業
- 仮店舗への移転
- 賃貸借契約の終了
- 最終示談
- 長女の休学
工事を止めたまま補償を待つのでも、補償範囲を確認せず工事を始めるのでもありません。
調査、暫定資金、安全工事を段階的に進めます。
なぜ法律だけでは解決できないのか
法律上は、治療費、設備損害、休業損害、賃料減額などを検討できます。
しかし、店を再開できるかどうかは、金額だけでは決まりません。
職人が残っているか、常連客へどう説明するか、相談者が厨房へ立てるか、貸主との関係を維持できるかが重要です。
また、相談者が店を守ろうとして無理に復帰すれば、再受傷して治療が長引く可能性があります。
長女が学業を休んで祖父の介護や店舗対応を担う状態も、長期化させるべきではありません。
重要なのは、誰が全面的に悪いかを示すことではなく、店、従業員、家族の生活を同時に守れる順番を作ることです。
実務上のチェックポイント
- 防犯カメラの元データ
- 建物の構造・電気・ガスの安全
- 賃貸借契約の修繕条項
- 建物と内装の所有区分
- 設備の型番、購入日、購入価格
- 修理可能性と同等品価格
- 事故前3年分の月別利益
- 事故後も続く固定費
- 休業で減った変動費
- 予約キャンセルと継続取引
- 負傷従業員の治療と収入
- 他の従業員の離職意向
- 貸主工事と借主工事の工程
- 賃料減額の期間と割合
- 店舗保険と休業補償
- 相手方の内払い条件
- 仮店舗の収支
- 家計と店舗の6か月資金繰り
- 相談者の就労制限
- SNSや支援金の使途
まとめ
車が店舗へ突入して営業できなくなった場合、月商全額を請求することや、すぐ全面工事を始めることが最優先ではありません。
私は、最初に負傷者の安全、証拠、負担区分、暫定資金を整理すべきだと考えます。
建物、内装、設備、休業、賃料、人身損害を分けることで、工事と補償を前へ進められます。
また、全額が決まるまで内払いを拒み続ければ、従業員、店舗、家庭の資金が先に尽きる可能性があります。
短期的には、安全と資金を守ります。
中期的には、工事と再開方法を決めます。
長期的には、実際の休業期間と売上回復を確認して損害額を確定します。
いま最優先すべきなのは、全額補償を約束させることではなく、店と生活が壊れる前に、再開できる土台を作ることです。
本記事は、架空の事例をもとにした一般的な実務検討用情報です。休業損害、設備の時価、修繕義務、賃料減額、従業員の補償、保険金の調整は、賃貸借契約、保険約款、会計資料、診療記録などの個別事情によって異なります。



